自ら創業し、1代だけで時価総額1,000億超の上場会社を育て上げた経営者と何年も仕事をしていた。
彼は親族等で半数近くの株を保有していたので、彼と話す度に、私は「時価総額500億の男」と話しているのだ、と強烈に意識させられた。
このレベルの偉大な経営者に自分の言葉を伝えるのは難しい。偉大な経営者はその偉大さゆえに、私の言葉などまともに聞いていない。もちろんお金儲けにつながる専門的な意見は聞いてくれるし、聞いているフリもしてくれるが、自分の行動が必ず会社の利益につながる、という確信があるのだろう。その実績もある。基本的には人の意見なんて聞かないことが正解なのだ。実際のところ私もその態度が正しいと思う。
私が知る限り、彼が経営に関すること以外を考えているのを見たことがない。聞いたこともない。関係していないと思われることも、必ず会社のビジネスに関係している。毎日というレベルではなく、毎秒経営のことを考えている。非常に失礼ながら、辟易するレベル。
もう少し趣味とかの話もしてみたいなあ、と考えていたこともあるが、いや、そういう話をぶっこむ余地はない。
彼が買収したい会社が見つかると、電話で一方的に情報だけ伝えてくる。その電話は信じられないくらい一方的だ。
「おお、Sくん、忙しいところ悪いねえ、今回は旅行会社なんやけどね。うちの店舗ネットワークと組み合わせれば収益化は簡単で、いやね、まだ小さいから管理体制はあかんけど、そこはなんとかせんとやけど、いや、えらく有能でやる気ある社長なんや、けど1個問題があってなあ、悪い土地をつかまされてて、石垣島なんやけど、社長は3年後には利益出せるとか言っててなあ、ほら、例のタイ案件と絡ませればと思ってるんや、けど知ってると思うけどうちの承認体制はやっかいやからなあ、でも専務も入っとるからなんとかなると思うとる、ああ、そんで社長の奥さんが経理やっててなあ、、、、、」
私は全く口を挟めない。質問を挟むのも難しい。そして、話は常に散文的でとらえどころがない。なんとか頭の中で情報をまとめていく。旅行?石垣島?タイ?てゆーか専務なんていたっけ?しかしそんな質問が許されるわけがない。偉大な経営者の時間を奪ってはいけない。時間を奪う者と契約を続けるわけがない。
思い込みの激しい詩文や難解な哲学書を読み解いているような気分になる。
「じゃあ、決算書はTから送ってもらうんでね、見積もり頼んます。今回もおやすうたのんますねー」
(Tさんも、一体だれのことなのか、この時のわたしは理解していない)
宝探しの謎解きのような気持ちで、彼が散りばめた謎をひとつのストーリーにしていく。決算書を読み、管理担当役員に電話し(大概の場合、彼もほとんど理解していない)、Google先生にもすがる。だがこれはとても楽しい作業だ。
というわけで財務DDに突入するのだが(きっちり値引きされる)、多くの場合、大量の論点が見つかってしまう。
しょうがなく分厚い報告書を提出すると、すぐに電話がくる。
「あー、読んだよ(たぶん読んでない)、大きな問題はないということやと思うわ(たくさん問題はある)、あとは価格だけやね(いやですから)、どうやろ、向こうさんは7億の意向なんやなあ、なんとかならんかなあ、ええ社長さんなんや」
ここがほぼ1回きりの勝負。本当に重要な点に絞って、不退転の決意で問題点を伝える必要がある。しかも簡明に。ここで伝えられないとすさまじい勢いで話は進んでいき、止めるためにはいつか誰かが何らかの犠牲を払うことになる。
「社長、高いです。がんばって4億です。先方の事業計画は達成できると思えません」
「社長、管理体制がめちゃくちゃです。売上金額が毎月数千万円単位でずれてます。いや、そもそも預金残高が数千万円ずれてます。上場会社として受け入れるのは無理です」
「社長、脱税の可能性があります」
例えばこんなヤバい論点を出すのだが、彼はかならず粘ってくる。
「計画ではなあ、あの宮城の案件あったやろ、あそこの手数料が3%上昇するということで、月2,000は出るらしいから、もっと数字は行く言ってるのよ」
「土地はねえ、5億で買ういうてる会社があるらしいのよ」
「管理体制はうちの経理が入るから大丈夫や」
「Sさん、脱税は可能性じゃ困るで。先方の社長にも言えないがな」
一方で、管理担当役員はちゃんと報告書を読んでいるので、こりゃあかんな、と分かっている。
「Sさん、これ、厳しいなあ。」「でもうちのオヤジ、例によって突っ走っちゃってて」「なんとかダメだと説得してもらえませんか」とこう来る。
まじですか。
まあねえ、社外の人間の方が頼みやすいのはわかる。悪いことを言うために我々はお金をもらっているのだ。ここからが腕の見せどころ。
常識ではあり得ないことをしてきたから彼の会社は時価総額1000億にまで成長したのだ。常識的な反対意見など聞き飽きている。多くのそういった意見を無視して進んできて、従業員数千人を抱えるまでになったのだ。承認体制、会計基準など知るか。私の直感が経営的に正しいのだ。
決して言わないが、彼はこう思っているはずだ。私も全くもって同意する。
そして、私はこういう経営者が本当に好きだ。
なので、とにかく彼の希望が叶うよう、知恵を絞る。裏から売り手株主を説得してもらうし、事業計画の達成可能性を高める方策を考えたり、土地の買い手を探したり、税法や会計基準への準拠を進めるし、過去の不祥事を半年かけてきれいに整理したりする。
いつの間にか、いただいている報酬以上のことをしてしまう。これが彼の偉大さなのだ、とその時に気づく。彼の前へ前へと続く正義の推進力を目の前にすると、多くの人間が自然とこういう行動を取ることになる。
彼の推進力をエネルギーとして、多くのハードルは乗り越えられていく。そして、いつも驚嘆するのだが、多くの人間の尽力の結果、問題とされていた点は解決され、最終的に買収は完了に向かっていく。
そして、私が知る限り、この会社の買収は長期的にも多くが成功している。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません