中学受験

7. Gnoble入塾テスト③

今から思えばここからでした。私のコンサルタント気質が暴発してしまうのは。
やるからには効率的に結果を出るようにしてあげたい。退屈な勉強の時間を少なくし、遊びの時間も確保しつつ、そしていい成果を出してあげたい。
私のクライアントに対する方針と概ね合致しています。

この時から、我が家庭には「愛する息子」と「勉強の効率性と成果を追求するクライアント」の2者が存在することになりました。これ以後ずっと、この2者の存在への対応が分裂しないようにしないように苦慮することになります。何を言ってるんだかという感じですけど。

さて、これがコンサル業務なのだとしたら、なにわともあれ現状分析から。息子の財務諸表たる入塾テストの成績をざっと眺めると、単純な計算をいくつも間違っている。そりゃ九九もできないのだからそういうものだ。
数独や計算問題集で練習させることも考えたけれど、私はExcelで「パパ計算ドリル」というものを作成してみました。Excelの乱数関数を利用して、二桁の足し算や二桁一桁の掛け算を無限に生成してくれるドリル。まさに世にいう「Excel父さん」で、かつ典型的なコンサルタントっぽくてなんだか気味悪いわあ。

しかし作成過程を息子に見せていたら、思惑通り、息子はExcelに興味津津となり、PCを渡してみると自分でこねくりまわし始めました。まだ数式はわからないので、セルを様々な色に塗ったり、記号を記入したりして巨大な幾何学模様の作成に熱中しています。このままExcelを楽しいものと思ってもらったら私が作った計算ドリルも積極的にやってくれるかな…..
しかし、冷静に後ろ姿を見ると小学三年生の社畜。これでいいのだろうか。まあいっか。

作成された数百問のパパ計算ドリルをプリントアウトして素知らぬ顔で食卓に置いてみたら、いつの間にか手を動かし始めています。
100点だと素直に一緒に喜び、間違えたところがあると悔しそうに原因を考えています。
その姿を見ていたら、こりゃもしかして意外と勉強は嫌いではないのかな?と思えてきました。
全く勉強に興味を示さないのであれば、入塾は再検討しようと考えていたけれど、今回は山本五十六メソッドが上手にハマったようです。

1ヶ月ほどでしょうか。ほぼ毎日ドリルに向き合った結果、目に見えて計算力が上がってきました。

その結果、2回めのGnoble入塾テストで合格。

息子いわく、ほぼ同じ問題が出たようでした….あんまりパパ計算ドリルの意義はなかったのかな、と思いつつ、おそらく塾としてはほぼ同じ問題でも、ちゃんと2回3回受ける気概のある子供(及びその家族)を求めているのかね、と思ったのでした。

 

このようにして、長い長い中学受験の道への扉は完全に開け放たれてしまいました。

6. Gnoble入塾テスト②

九九が言えないよー
これで中学受験とかちゃんちゃらおかしいよ。
ということで、まずはお風呂で特訓です。ろくろくさんじゅうろくーろくしちしじゅうにー

さすがに10日間くらいの特訓でなんとか間違えないで言えるようにはなってきました。
最後の方まで、しちろくしじうゅご、とか言っていましたが….
まあでもさ、小学3年生って本当はこんなもんだよね。こんな男が3年後に受験なんてできるんだろうかね。

さて、九九が言えるのは最低限の話。もちろんそれだけでGnobleには入れません。

私は
「息子よ、本当にGnobleってところ、入りたいのか?」
と、膝を詰めて聞いてみました。息子は、膝を詰められたのはこれが初めてかもしれません。

息子は「入りたい…..」と伏し目がちに答えます。

「パパが知っている限り、勉強はかなり大変だよ。遊ぶ時間は少なくなるよ。大丈夫?」

と聞いても「入りたい」と言うだけ。理由を聞いてもはっきりとした答えは返ってきません。

ほんとなのかなあ。どうも親の意向を汲み取って言っているように思えます。
しかし親父のわたしは一応「中学受験反対派」を標榜していますし、息子も母親の意向だけを汲み取るような単純な男でもない。

きっと、周りの環境の多くが、自然と彼を塾に通う方向へと後押ししているのでしょう。

両親ともに大学受験まで(私はその後も)結構勉強をがんばった人生で、そういった経験は折に触れて話しているし、周りの友達も既に塾に通っている子が多く、通っていない子とも塾の話はしている模様。水泳教室やサッカークラブに所属していたけれど、そんなに運動が大好きなわけではないようで、3年生で辞めてしまっている。ゲームはマインクラフト以外は基本的に禁止しているのであまりやることがあるわけではない。読書が好きだし、学校の授業もそんなに嫌いではなさそう。特に理科には興味がある模様。親が見る限り、割りとオタク気質。

以上の状況を小学3年生なりに見回して、なんとなく「あー俺、こりゃ塾行く運命だわ….」と思ったのかな、と、親としては判断しました。運命には逆らえないわな。

「よし、じゃあ入塾テスト合格するためにがんばるか!」
「うん!」

この時点で完全に中学受験の扉を開けて玄関に足を踏み込んだ状況となりました。

5. Gnoble入塾テスト①

あなおそろしや。
東京の小学生は入塾するのにテストを受けないといけないんやでー。

息子はGnobleに入りたいと言っていますので(ほんとかね)、恐る恐る入塾テストを受けてみました。
GnobleはSAPIXの小規模版ですから、そんな簡単には入れないのだろうと頭では理解していました。
理解はしていましたが、そうは言ってもおれの息子、受かるんじゃねーの、と簡単に考えていました。
しかし、かるーく落ちちゃいました。
「え、まじで落ちるんだ。。。」って息子の前でポロリと言ってしまいましたよ。

テストは算数と国語のみ。
確か算数は二桁の足し算・引き算、二桁一桁の掛け算が50問くらいの問題だったかと。
国語は文章題1題で漢字・語句・文意の記号問題が出題されていたような。

結果としては、算国半分の点も取れていないで不合格。

あー、そうか、、、まあ、そういうもんだよね。難しいんだよね、きっと。
と思いつつ、問題を見てみましたが、かなり簡単な問題を間違えている。。
これ、どういうことなんだろ、と思いつつ、一緒に問題を復習してみたところ、

いや、九九言えてないやん!

しちろくしじゅうご、とか言っている!
はちろくしじゅうご、とか言っている!

小学3年生の冬だよ!
あー、いかん、九九くらいはできるもんだと思って全くフォローしていなかったわ、、、、

しかし息子ちゃん、見事にしらっとした顔をしております。入塾テストって何かしら、私そんなの受けたかしら、といったようなまっさらなお顔。あら可愛いわね。いや、ちょ待てよ。

こりゃ、中学受験どころではないわ。そんなん関係なく、九九は言えるようにしないとまずいんじゃねーの。

ということで、我が家の中学受験は、まずは九九を完璧にするという基礎の基礎から始まりました。

4. 塾詣で(早稲アカ・Gnoble)

さて、私は依然として中学受験反対派としての家庭内活動を続けていたわけですが、一方で妻は早々に息子と塾の説明会に行く約束を取り付けていました。動きが早い。妻よ、やはり受験戦争への情熱の滾りが抑え切れないんだろう?と心ではニヤニヤしつつ真面目な顔をして私も出席しました。

・早稲田アカデミー
御茶ノ水のでっかい会場で300人くらい集めての堂々たるセミナーを開催。
現状の関東の中学受験の過熱状況や勉強のコツなどを塾長が説明。
親が説明を聞いている間、息子は入塾テストのようなものを受ける。

・Gnoble
関東の中学受験の状況の説明は早稲アカと同じ。
その校舎の各教科の責任者が出てきて、勉強の概要を説明。
どんな勉強が必要になるか、その量など、わかりやすい。
息子は体験授業に行く。

・SAPIX
近所の校舎が募集終了していたので行きませんでした。興味はあったので行ってみたかったのですが。

 

結局2校しか実際には行かなかったのですが、、、

結論から言うと、夫婦揃ってほぼ迷いなくGnobleが第一候補となりました。

Gnobleの気に入ったところは以下のとおり。
・5年生まで週2日(他の大手塾の多くは5年生からは週3日)
・ほとんどお弁当持参の必要がない。
・良くも悪くも講師が冷めている。プロっぽい印象。やっぱりハチマキ巻いて叫ぶのとか嫌やんね….
・SAPIXと比べると小規模(約10分の1)なのでオルタナ感がある。

ガロ系漫画が好きだったり、NIRVANAを熱心に聞いていたりと、私はちょいサブカル・オルタナ感が好きなやつなので、SAPIXや早稲アカはなんとなく避けたいなあ、と思っていたものです。日能研や四谷大塚は言うまでもなく。
言わば「ガチ感」を出したくない、ということですね。斜に構えているのが格好いいと思っちゃっている逆にダサいやつというか。ただ、Gnobleの実態は「ガチ勢」の集会場ですので、あくまで「雰囲気」の問題です。

また、極力塾にいる時間を短くしたい、と考えていました。
結局、塾の滞在時間が短ければ、その分家でやることが多くなり、親の負担が増えるのですが….
しかし、私はそれで問題ないと思っていました。やるなら息子とがっぷり四つでやるつもりでしたので。

息子もGnobleが気に入った様子。
理由はあまり明確には言ってくれませんでしたが、おそらく以下の理由に拠るものと思われます。
①体験授業が面白かった(そもそも先生のトークが上手いし、知的好奇心をそそる授業をしてくれた模様)
②雰囲気が合った(どちらかというと息子は集団が苦手。Gnobleに漂う個人主義の匂いに気づいたか)
③親の様子を見てる(親が気に入ったのをちゃんと気づいているのでは。実はこの要素が大きいかもしれませんが….)

 

いや、てゆーか、これで挙党一致で中学受験に臨む体制が出来上がってしまったではないか。

この時点では、まだ私は未練がましく、受験をしない選択肢を心のなかに抱えたままでした。

3. 父、魔界について大いに語る

妻の目の奥に宿る情熱を感じた段階で、魔界に迷い込む運命を感じとっていた私ですが、まだまだ踏み込む勇気は出てきません。

私は、よく飲みに行きます。酒は弱いんですけど、話したくて。色んな人と。
特に30代後半からは、サシか少人数でじっくり話し合うのが好きなんですが、往々にして議論が沸騰し、終電関係なく飲み続けてしまうという、面倒なおっさんそのままを体現しています。
そんな飲み仲間には同世代が多く、先にこの魔界を経験した先人が沢山おりましたので、折に触れて中学受験の話題を出して、意地悪く議論を吹っ掛けて回りました。

私の聞きたいことはひとつ。
「小学生にあれだけ無茶な勉強させて、楽しい時間を奪うことになる中学受験ってものに、どんな意味があるのだろうか?」

まあこんな曖昧な議題を吹っ掛けられる方もたまったもんじゃないと思いますが、当時はこの答えを真剣に知りたかったのです。
様々な方に意見を伺いました、同級生、同僚はもちろん、立派な経営者や弁護士にも聞きました。子供だけではなく本人が中学受験経験者であることも多かったです。その意見を集約すると以下の通り(中学受験肯定派の意見)。

・選択肢が広がる
・学力が高い友達に囲まれて青春時代を過ごせる
・中高一貫校に行けば6年間自由に過ごせる
・後で苦労するより先に苦労しておいた方がいいじゃん
・高校受験はもっと大変らしいぞ

説得力があるような気もしますが、どうも私は納得できません。私はいつも飲み屋の中心で叫びました。

「嘘だ!」

だって、どうも嘘くさくないですか?一見正しそうに見える意見は無理矢理にでも疑ってかかるのが私の信条です。単なる職業病かもしれません。そうして相手につっかかるのですが、大概相手も酩酊している状態なので不毛な言い合いになってしまう……
いつもの私の反論の概要は以下の通り。

・選択肢が広がる
→でも小学生時代に思う存分遊び回るという「選択肢」が奪われているじゃないか。
→いい学校に入る、という選択肢の方を増やしているだけですよね。
→遊びから学びを得たり、暇な時間を使って友達との関係を構築したり、じっくり時間をかけてスポーツをする、といった選択肢は減っていますよね。
→「選択肢」という言葉はまやかしじゃない?

・学力が高い友達に囲まれて青春時代を過ごせる
→同じ様なやつばかりに囲まれて楽しいのかな?そもそも多様な友達からの学びが少なくならない?

・中高一貫に行けば6年間自由に過ごせる
→小学生時代の自由な時間が奪われていることについては?単なるトレードオフだよね?

・後で苦労するより先に苦労しておいた方がいいじゃん
→苦労は10後半くらいからの方がいい気がする。
→自分で選んだ道の途中での苦労と、よく分からないで押し付けられた苦労、どっちの方が意味がある?
→というか勉強って苦労なのか?子供に勉強が苦労だと思わせる時点でどうなんやねん…..

・高校受験はもっと大変らしいぞ
→これは正直私はわからん。私の田舎はそうではなかったが、関東ではそうなのかもしれん。

 

色々と考えましたが、今になっても、これだけの時間と資金と労力をかけて関東の中学受験戦争に子供を放り込むということにメリットがあるのか、明確な結論が出ていません。

考え続けると終わりませんので、私の友人の言葉と茂木健一郎さんのYoutubeが頭に残っているので、その2つを紹介して終わりにしようかと。

「中学受験って、所詮大学受験時の偏差値が5程度上がるくらいのものだと思うんだよね。そのためにこれだけの犠牲を払うのは正しいのだろうか」

2. 家族で二月の勝者を読む

Google先生は、明日札幌出張となれば美味しいみそラーメン店の記事を薦めてくるし、英語勉強したいなと思った刹那に英語塾の広告を見せてきますよね。いつも私の欲望に忠実で、恥ずかしいやら気まずいやらですが、とても信用しています。わたしは常時甘んじてGoogle先生の奴隷です。
今回も、第一次家族会議をくぐり抜け、中学受験というものを意識し始めた瞬間に、Google先生はぬるりと「二月の勝者」の購読を薦めてきました。それは読み終わるまで何故これを読み始めたのか気づかせないくらいに繊細なやり方で。

数年前までスピリッツを定期購読していた私は「二月の勝者」という中学受験漫画が連載していることは知っていました。しかし特に中学受験に興味のなかった私は、すっかりと読み飛ばしていました。面白そうかも、という引っ掛かりさえも微塵も感じていなかったのですよ。

それがいざ読み始めたら全然止まらないこと。

「中学受験は父親の経済力と母親の狂気」
という有名なキャッチフレーズに表される中学受験の闇の暴露から始まり、塾業界の闇、中学受験が親子関係に与える致命的な問題点、友人関係に入り込む成績ヒエラルキーなどの実態を矢継ぎ早にストーリーに乗せてきます。登場する親にも子にも時には叔母さんにもすっかり感情移入してしまいます。
また、名前は変えているものの、各学校の偏差値帯や受験生からの扱われ方が自然と頭に入ってきました。
いやあ、こりゃ面白い。

早速私は妻に単行本を渡しました。

「なにこれ?」
「いいから読んでみなよ」
「中学受験がやばいって話?私に受験を諦めさせようとする魂胆?」

中学受験反対派の私から単行本を渡され、警戒していたうちの妻ちゃんですが、読み始めたらすぐに全巻自分で購入し、数日で読破してしまいました。普段漫画なんてほとんど読まないのに。
妻は内容について多くを語りませんでしたが、更に受験への熱が滾ったのは傍目から明らかでした。

ふと気づくと息子もあっという間に読破していました。
なんだお前まで滾り始めたのか。

この漫画は、親子関係の悪化、異常な勉強量、塾産業の裏側、等マイナスな情報も多いですが、それ以上に射幸心のようなものを煽る効果があるようで、こりゃ実質的にはスポ根漫画だな、と思いました。努力、友情、親の愛、そして真剣勝負が中学受験の情報の渦の中に効果的に散りばめられていて、興奮させる作用が満載。
勉強だってスポーツのように熱くなれるんだ、というメッセージが伝わります。

島津くんやまるみちゃんは応援したい気持ちが溢れ出くるし、親にはすっかり感情移入してしまう。

特に、島津くんのお父さんには……….笑ってしまったけれど、結構いるんだろうなあこういう人……
2年後、もしかして自分もあんな風になるのだろうか……..

 

 

1. 父、中学受験という魔界を知る

息子。8歳。小学校3年生。
まだ甘えた仕草が残っている。些細なことで泣いては親を上目遣いでちらちらと見る。
しかし「必然」や「責任」なんて言葉を使うようにもなってきていた。そんなお年頃。

いっぽうで私は不穏な気配を感じていました。それは「中学受験」そのものが発する気配です。
素知らぬ顔はしていたけれど、東京の「中受」はヤバいと、耳がどこかで勝手に聞きかじっていたし、「ガチ勢」とか「サピ」なんて言葉も海馬の奥底に重要語彙として知らぬ間にストックされていました。

田舎の公立小学校から高校まで進んだ自分と妻にとっては、関東の中学受験の世界は全くの未知の世界で、そういう親にありがちな意見ですが、「小学校から受験勉強なんて…..だって私が小学生の時はその辺を走り回って泥だらけになって遊んでいましたよ。馬鹿らしい….」と思っていました。
まあ正直なところ、今もそうは思ってはいます。

しかし、まず幼稚園友達のお母さんお父さんが「ワセアカ」とか「にちのうけん」とか言い始めたのです。
なんかこれらの言葉が無視できない勢いで私達に迫ってくるのです。更によくよく世間様に耳を傾けてみると、信用している同僚もおかしな言葉を口走っていました。「つくこま」とか「αクラス」なんて単語を。

しかし、黒魔術の呪文のように唱えられるこれらの語彙に、少しでも興味を持ってしまった時点で、もう私は取り込まれていたのだと思います。中学受験の魔界に。

少しずつ好奇心に囚われてきた私は、真夜中のスマホから魔界の情報を恐る恐る引き出し始めてしまいました。

この時点で私が得た情報は以下くらいのものだったと思います。

・目下中学受験ブーム真っ盛り。受験者数は増加の一途を辿っている。
・男子は開成(筑駒)、女子は桜蔭を頂点とした熾烈な闘争が行われている。
・とにかくSAPIXが最強。強すぎ。
・勉強量がとにかくやばい。子供のくせにずっと勉強してる。
・場合によっては親子の関係がマジで悪くなる。毎日ケンカ。

 

「やめよう」
それが私の、最初の感想でした。
こんな魔界にかわいい息子を引きずり込むわけにいかないだろう、常識的に考えて。
普通に公立中学行って、高校受験か大学受験から真面目に受験を考えればいいだろう。うん、それが真っ当ってもんだろう。

 

そんな意見を固めて、ある日の夕飯の後、私は妻ちゃんと話し合いを持ちました(第1次家庭会議)。
残念ながら妻ちゃんの意見は私のものとは異なり、
「可能性が広がるし、みんな始めるみたいだし、合わなければ公立中学に行けばいいし、とりあえずやってみたほうがいいと思うんだけど…」というもの。どうしたんだよおれの妻!飛んでる女で有名だったおれの妻よ!普通の母親みたいなこと言うじゃないか!

しかし、この時点で私は気づいていたのです。穏当な意見を述べている妻の伏し目の奥に宿る、受験戦争に対する熱い闘争心を。
妻は密かに滾っていたのです。

私達夫婦は二人とも、田舎の街から、つらくて長い受験勉強を堪え忍び、死にたいくらいに憧れた花の都大東京の大学を受験し、めでたく合格を勝ち取って上京してきたのです。初めて東京に降り立った日、独りで渋谷の雑踏に身を任せた時の感動といったら!きっとあの体験が忘れられないのです。悲しいかな受験に対するロマンをまだ持ち続けているのです。もしかしたらこれは郷愁に近い感情なのかもしれません。

「あなたもそうでしょう。あの熱狂をもう一度体験したいのでしょう。ねえ、あなたもそうに決まってるわ」

妻の目はそう言っていました。もちろん慎み深いうちの妻ちゃんはそんなことは口には出しゃしませんでしたが、10年も連れ添った妻です。何も言わなくても分かりますよ。
ああ、やはり我々も親の思い入れを子供に押し付けることになるのか。

正直申し上げますと、この時点で我々夫婦は、息子に中学受験を奨める方向になるのだろうと確信いたしました。

しかし。冷静になれ、と自分に言い聞かせました。子供は別人格なのだ。

一呼吸置いて、この時点ではまだ私は中学受験に対して反対の立場を取ることにしました。
その理由は以下のようなものです。

・そもそも、本当に中学受験することにより人生の選択肢が広がるのか?
・選択肢を提示し、息子自身が選択できる形を整えた方がいいのでは。
・ていうか小学校時代の遊びの時間も大事だし、何と言っても楽しいよね。
・息子が受験をしたくない、止めたい、という結論になった際、撤退したことに本人に引け目を感じさせないようにしたい。

つまり、この時点では、ちょっとドアを開けて部屋の中を見てみようか、というくらいの気持ちだったのです。

 

しかし、後で気づくことになるんですけどね。一度ドアを開けた以上、「撤退」は非常に難しい判断であるということに。