年間交際費2億円の男

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営業の一環で彼の会社の決算書を初めて見た際は驚愕した。従業員数十名の会社にも関わらず、長期間一貫して10億円以上の利益が出ているのだ。しかも毎年2億円以上の交際費が計上された上で。

交際費年間2億円ということは、月額2,000万円弱、飲みに行ったら毎回百万円単位で浪費しなければならない計算だ。平日のほとんどを銀座の高級クラブに通っているようで、何度か同伴させていただいたことがあるが、彼が入店すると間髪入れずにドンペリ的な何かのボトルが5~10本並ぶ。代わる代わる10人近くの女性が周りを囲み、銀座プロホステスの仕事を見せつけられ、席の全員を巻き込んできっちりと会話が盛り上がる。だがその饗宴のなか、1時間もすると彼はすっと立ち上がり、「ではまた来週!」と言って出口に向かう。「でたでたー社長、また明日!でしょうー」と囃し立てるホステスを背中にお愛想する姿はまさに粋の骨頂。そして次のクラブで全く同じことを繰り返す。その夜の4,5軒のはしごで、200万円以上は使っているのではと思われる。

なぜこんなことが可能なのか。
彼の会社は、ある南米の巨大な企業と日本の巨大メーカーを強く結びつけることに成功していた。
その時はすでに亡くなっていた共同創業者と一緒に粘り強く交渉し独占契約にこぎつけていた。
商材が非常に特殊であったため、中間業者としての彼の会社の存在感は長期にわたって色褪せなかった。

私が呼ばれた理由は、上場ミッションだった。
上場を目指す際、まずはショートレビューと呼ばれる事前調査が必要になる。粉飾がないか、社内管理体制が整備されているか、黒い交際関係はないか、ビジネスモデルに継続性はあるか、といった上場の前提となる条件が整っているかどうかを確認する調査だ。通常は監査法人や証券会社が行うことになるが、なぜか私のコンサル会社に依頼してきた。

私は教科書どおりに「収益性は十分ですが、問題は管理体制です。南米の子会社は仕入規模が大きいので管理体制が問題となるでしょう。さらなる調査は現地に行く必要があります。」と話した。
正直なところ、南米子会社の決算書は怪しいところだらけだった。

南米法人の経営は現地の日本人社長にほぼ任せられていた。所謂コストセンターで、北米・南米からの仕入を全て担っている。現地社長の語学力と人脈は確かなものであったが、管理能力には疑問符がついた。

こいつは行ってみないとしょうがないぜよ、ということで追加報酬の交渉も忘れ、ワクワク気分で南米にひとっ飛びした。

調査の結果は問題点の宝庫だった。
・人件費を現地社長の個人会社を通して払うことにより年間1億円ほど中抜き
・外注費の水増し
・粉飾会計(経費を10年間にわたり3億円ほど資産計上。これは税金の払い過ぎでもある)
・個人経費(ペットの餌等)を毎月百万単位で付け替え

1週間程で効率よく問題点を大量に発見し、私は得意満面だった。こりゃ継続契約になるし、結構お金もらえるなあ、と。
「ありゃー、これじゃ上場できないかなあ」社長は頭を抱える。
「そうですね。ただ、利益は十分ですから、1,2年かけて問題点を整理すればいけますよ」
「そうなの!じゃあ、厳しく迅速に進めよう。こんなのは横領だ、と書いちゃってよ」

通常、上場準備の報告書に「横領」といった言葉は使わない。それは上場しようとしているのに、会社が傷物であることを喧伝するようなものだ。違和感はあったが、銀座で圧倒された経験が私の判断を鈍らせていた。

報告会は荒れた。

南米法人の社長は年輩の会計士を連れてきて大きな声で怒鳴り立てた。
「横領とはなんだ!こんな報告書はでたらめだ」(本当にこんなドラマみたいなセリフを言った)
「そもそも誤字脱字が多い」(それは本当だが、どうでもいいじゃん)
「ここの合計額が1,000円ずれているのだが……」(まじでどうでもいい)
「会計士としてあるまじき報告書だ」(どういうこと?)

本質から大きく外れた指摘に一生懸命説明している私のそばで、交際費2億円男は黙ってそのやり取りを見ているだけだ。私に加勢してこない。どういうことだ?

3時間を超える白熱教室の後、彼は私にこう言った。
「ごめんなさいね、こんなに揉めちゃったから、一回、会社で整理することにしますね」
びっくりしたが、そこから全く連絡が途絶えた。連絡しても経理のおばちゃんしか対応してくれないようになった。

なぜこの時まで気づかなかったのだろう。彼は上場する気など、さらさらなかったのだ。南米法人の幹部を牽制したかっただけだったのだ。
こう書いていくと当たり前のようだが、未熟な私はこの時点まで全く気づかなかった。本当に上場をしたいのだと考えていた。よく考えたら上場を目指す理由を聞いてもろくな回答を返してくれなかったなあ。
まじめに上場を考えていた私が馬鹿みたいだ。報酬は高額ではなかったがもらえたし、南米も行けたし、仕事としては成功の部類だとは思うのだが、どうも敗北感が残る。自分の思った形ではなく利用されるとこういう気分になるのか。

かくして私はお役御免となり、二度と銀座に行けなくなった。
銀座かあ、きっと私には無理な世界なのだなあ、とそのとき思い知らされたのでした。

 

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません

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