よく営業は天性だと言われる。昔のボスに「俺は生れつきの営業マンだ。売る才能が最初から備わっている。お前は生れつきじゃないが、努力すればいい営業マンになれるよ。まあ、俺以上にはなれないけどな」とよく言われた。ボスと私は同じものを売っていたが、ボスが売ると値段が倍以上になった。
そのボスと一緒に訪問していたクライアントの社長は、正真正銘の営業の化け物だった。数十年にわたりありとあらゆる商品をありとあらゆる手法で売りさばき、彼の会社は100億円超の利益剰余金を蓄えるまでになっていた。
100億円の利益剰余金のほとんどが現預金として保存されている。暇なのか、お戯れなのか、気に入った人間がいると軽い気持ちで5000万円、1億円をぽんと渡してしまう。彼のビジネスのアイデアは尽きることがないので、そういった人間に思いつくままにその金でビジネスをやらせる。時には不動産、時には飲食店、時には車のディーラー…
彼からしたら、売ることは簡単なことなので、アイデアと金を渡したら成功するに決まっていると考えている。
しかし、もちろん多くの場合、成功しない。ほとんどの人間には売る才能なんて生れつき備わっていないのだ。また、売る努力も大してしない。ましてや、会社経営の才能に至っては99%の人間が持ち合わせていない。そうして私は資金がただただ溶けていくのを毎月数字上で見つめることになる。
成功している人間の多くがそうであるように彼もせっかちなので、半年程度、早ければ3ヶ月程度で結果がでないとイライラし始める。なぜ売れないのか。あんな在庫さっさと売っぱらえよ。売れてないのになんでこんなにコストがかかるんだよ。
しばらくすると深夜にメールが届くようになる。泥酔しているのか、単に精神的に参っているのかは不明だが、そういう時のメールは詩的だ。
「先生、5000万円は回収し、今月中に会社はかいさんします。
社員はRを残して全て解雇するように伝えてほしいです。
もうこれ以上つづける気はありません。
K弁護士にも連絡ずみです。
今月中にかいさん手続き完了できますよね?」
「Tは横領をしているので、訴えます。
裏切りは悲しいです。
通帳をすぐに回収してもってきてください。
例の不動産案件も外れてもらって
この件も弁護士に調べてもらいます。」
「先生、信頼して頼んだはずなのに、
このままだとK弁護士に連絡しないといけません。
役員報酬がなぜ100万のままなのでしょう。交際費も毎月高額です。
先生はなぜ把握していないのでしょうか。
今日中にれんらくをください」
なぜか行間が空いているので、芸能人のブログを読んでいる気分に。しかし、内容は強烈だ。基本的に常に誰かが訴えられるような可能性に満ちている。
すぐに返信しないと追い打ちのメールが来る。夜中の2時でも構わずに。
「なぜ返信くれないのでしょう。
そもそもこの件は先生の管理不足が原因だと思います。
契約を再検討します。」
きびしい。スピード感が桁違いだ。確かに管理不足といえなくもないけど、会社の解散なんて10日でできませんよ…..交際費の使い方もいちいち指導できませんよ…..
しかし、まだ真面目な会計士だった私は極力即時対応を心がけ、問題点も会社の方々と一緒になって真摯に解決しようとしていた。しかし、真面目は損気。次第に私の精神は追い詰められていった。やはり、常に訴訟の可能性が見え隠れするのはきつい。
しかし、これが昼間に会うと太陽のようなナイスガイで、魅力的な言葉を掛けてくれる。
「いやー先生いつもありがとうございます。対応早いし、助かります。会社閉鎖の件は先生の言う通り延期します。で、3月中に計画が出てきたらあと1億出して、新規出店させようと思ってるんですよー。Dって会社知ってます?この前そこの社長と飲んだんですけど、営業協力してくれるって言ってて…………」
本当のことは何なのか、わからなくなっていく。
そして、そうこうしているうちにうまくいく会社も出てくる。あのマンション5億で売れましたよ、といった報告も届く。新規出店順調です、との月次報告も。
幻惑的経営。躁鬱経営。こんなやり方もあるのか。
1年、2年と付き合いを重ねていくと、次第に彼の進め方は分かってくる。思いつき投資、即損切り。彼は恋愛や結婚も同じスタンスだった。ただ、深夜のメールでは相変わらず厳しい言葉が使われるので、周りの人間の精神は次第に病んでくる。私も例外ではなかった。
ストレスには強い方だと自分では思っていたが、次第に酒量は増え、睡眠時間は減少していった。いよいよ自分の精神が耐えられなそうになったとき、彼は全てのビジネスから手を引く、と言い始めた。
思いつきであろうことは分かっていたが、乗るしかないこのビッグウェーブに、と「承知しました。即時対応します」と答え、粛々と法人を整理していった。
整理には半年程度かかったが、なんとか私の精神状態はギリギリで保たれ、訴訟も打たれず、会社も儲かったが、この件は私に大きな教訓を与えてくれた。
やばい経営者はまじでやばい。
でも、やっぱり魅力的だからまた同じような人がいたら近づいちゃうんですよね……..きっと。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません